2005年05月
2005年05月25日
きもの三京(戸田市)マイショップ奮闘記
「一国一城の主」を目指して呉服業界へ
「ゆくゆくは一国一城の主になりたい」そう思って、東北の山形から上京してきたのは、今から約40年前のことです。
きっかけは、学生時代に経験したスーパーのアルバイトでした。お客様との駆け引きがとても楽しくて、商売の面白さに目覚めてしまったのです。
それから私は、高校卒業後すぐに東京に修行に出ました。修業先は呉服問屋。なぜ呉服問屋を選んだかと言うと、当時、呉服業界は修行が厳しいと言われていた業界だったからです。せっかく修行するならそういうところで勉強したいと考えました。また、私自身、ファッションに興味がありましたので、呉服業界は打ってつけの業界だと思ったのです。
そうして、日本橋の呉服問屋と埼玉の呉服小売店で営業担当をし、呉服の商品知識を身につけることはもちろんのこと、お客様づくりに精を出しました。
呉服業界に携わってから15年ほど経った頃でしょうか、その頃には、ある程度一人で商売ができる自信が付いていました。そこで、「お客様もたくさん付いたし、そろそろ独立しても大丈夫」と、独り立ちを決心したのでした。
何とか買っていただこうと行商で回るが....
小売店を辞めて独立を決心した私でしたが、誰からの援助があるわけでもなく、たいした資金もありませんでした。そのため、すぐに店舗を構えることは私にとって難しいことでした。
そこで始めたのが行商です。一軒一軒お宅を訪問し、「きものはいかがですか」と売って回る方法です。始めてから一年間は、売上げはほとんどゼロ。一日500軒回って一枚も売れない日が続きました。
ただ、やみくもに行商をやっても駄目だ。そう考えた私は、「小売店の営業で培った人脈を生かすしかない」と、頼りになりそうなお客様一人一人を「独立しましたので、よろしくお願いします」と挨拶して回りました。しかし、お客様の態度は想像以上に冷たく、なかなか結果には結びつきませんでした。
なかには、私が小売店を辞めたと知った途端、「あなたから買うのはちょっと....。応援できないわ」と冷たい言葉を掛けられたこともあります。これが現実でした。正直言って、私はとてもショックを受けました。この人は絶対応援してくれるだろうと思っていた人に言われたのですから。
しかし、逆に、「この人は絶対応援してくれなだろう」と思っていた人が、「独立したら一生懸命頑張りなさい」と、思いのほか応援してくださったりもしました。そうした言葉に、私は感激せずにいられませんでした。「人間は本当にわからない」そのとき初めて思ったものです。
その後、二年、三年と経ち、ようやく一人二人と買っていただけるようになりました。その時の一枚のきものの重みは一生忘れることができません。「やった。やっと買ってくれた」と、涙が込み上げてくるくらいでした。
そうこうしているうちに四年ほどが過ぎ、固定のお客様も徐々に増え、ある程度の資金も貯まりました。「よし、店舗をつくろう」そして、昭和57年4月、ようやく私は念願の店舗を手に入れることができたのでした。
今はリニューアルして、ほとんど面影がありませんが、その時の店舗は、自宅兼店舗に小さなショーウィンドウが付いているくらいの簡素なもの。それでも私にとっては、本当のお城のように映って見えたものです。
忘れられない素敵なお客様
当店について語る際、忘れてはならないお客様がいらっしゃいます。その方は、私が独立したときから、その方がお亡くなりになるときまで、ずっと応援してくださったお客様です。それは、お買い上げもそうであり、精神面でもそうでした。
そのお客様との出会いは、やはり小売店での修行時代に遡るのですが、独立に際し挨拶に行ったときに「頑張んなさいよ」と方を叩いてくれたのがきっかけでした。それ以来、その方とは馬が合うというか何というか、それはもう、たくさんのきものを買っていただきました。最後の方はタンスに入りきらないくらいだったと思います。
精神面でも、この店舗の土地を買うときに「頑張りなさい。今買わないと買えないわよ」とアドバイスいただき、人生の大きな決断をしたことがあります。
「買っちゃえば何とかなるから」これもその方の言葉です。今思えば「私がいるから大丈夫。安心して買いなさい」と暗に言ってくださったのではないでしょうか。それくらい本当に良くしてくださったのです。
当店の着物は、私自身が京都の問屋に足を運び、一軒一軒回って「これだ」と納得したものを仕入れています。これは、少しでも素敵な着物をより安くお客様に提供したいと思ってのことです。きっと、そうした私の頑張りをそのお客様は認めてくださっていたのでしょう。だからこそ、当店を親身になって助けてくださったに違いありません。
地域密着型ゆえの様々な悩み...
私は地元の方が気軽に立ち寄れるような、地域に密着したお店づくりを心がけてきました。しかし、地域に密着しているがゆえの、人間関係の難しさを、日々、感じています。
当店にいらっしゃるお客様のほとんどは、地元の農家や自営業を営まれている方たちです。ここは、昔ながらの小さな街。噂話がすぐに飛び交います。つまり、同じ地域の住人の方同士でも、合う方、合わない方というのがいらっしゃるのです。
そうしたお客様のなかに、「○○さんが三京さんを使っているなら、私は別の着物屋さんにするわ」と当店の着物の良し悪しではなく、人の好き嫌いで来店を拒否される方がいらっしゃいます。
また、私はこの土地に昔からいる者ではありません。遠い山形から来たヨソ者です。すると、「ヨソから来たやつが、商売なんかして生意気だ」などと言ったことをおっしゃる方も、中にはいらっしゃるのです。
大きな百貨店であれば、このような悩みはないのでしょうが、小さな街で、それも地域密着型となると、こうした悩みは避けられないようです。
とは言っても、この街に住み始めてから約20年。慣れない土地ではありましたが、私なりの努力を一生懸命してきました。今でも認めてくださらないお客様もいらっしゃいます。
着物の良し悪し以外のことで来店していただけないのは、とても悲しいことです。しかし、それはそれで仕方がないことだと思います。当店のことをいいと言ってくださるお客様に対して、一生懸命応対していけば、認めていただける時が必ず来ると信じているからです。
先日、「結婚式で周りのみんなにとても素敵な着物ね、って誉められたの」と嬉しそうに報告してくださるお客様がいらっしゃいました。
私は、豪華な洋装より日本文化の和装のほうが何倍も素敵だと思っています。なぜなら、着物に勝る衣服はないと思っているからです。しかし、着物を着る文化は年々衰退しています。着物に携わる者として、本当に残念で仕方がありません。
ですから、当店では少しでも着物に触れていただこうと、落語や人力車のイベントを行っています。それも、日本文化である着物に携わった者の使命だと考えてのことです。
現在、私の息子が日本橋の呉服店に修行に行っています。その息子が戻ってきたら、親子二代で着物の素晴らしさを継承していきたい。これが私の当面の目標であり夢です。その時まで、厳しい時代ですが、何とか頑張っていきたいと思っています。
Store Journal 2004年12月号「連載マイショップ奮闘記Vol.83」に掲載
「ゆくゆくは一国一城の主になりたい」そう思って、東北の山形から上京してきたのは、今から約40年前のことです。
きっかけは、学生時代に経験したスーパーのアルバイトでした。お客様との駆け引きがとても楽しくて、商売の面白さに目覚めてしまったのです。
それから私は、高校卒業後すぐに東京に修行に出ました。修業先は呉服問屋。なぜ呉服問屋を選んだかと言うと、当時、呉服業界は修行が厳しいと言われていた業界だったからです。せっかく修行するならそういうところで勉強したいと考えました。また、私自身、ファッションに興味がありましたので、呉服業界は打ってつけの業界だと思ったのです。
そうして、日本橋の呉服問屋と埼玉の呉服小売店で営業担当をし、呉服の商品知識を身につけることはもちろんのこと、お客様づくりに精を出しました。
呉服業界に携わってから15年ほど経った頃でしょうか、その頃には、ある程度一人で商売ができる自信が付いていました。そこで、「お客様もたくさん付いたし、そろそろ独立しても大丈夫」と、独り立ちを決心したのでした。
何とか買っていただこうと行商で回るが....
小売店を辞めて独立を決心した私でしたが、誰からの援助があるわけでもなく、たいした資金もありませんでした。そのため、すぐに店舗を構えることは私にとって難しいことでした。
そこで始めたのが行商です。一軒一軒お宅を訪問し、「きものはいかがですか」と売って回る方法です。始めてから一年間は、売上げはほとんどゼロ。一日500軒回って一枚も売れない日が続きました。
ただ、やみくもに行商をやっても駄目だ。そう考えた私は、「小売店の営業で培った人脈を生かすしかない」と、頼りになりそうなお客様一人一人を「独立しましたので、よろしくお願いします」と挨拶して回りました。しかし、お客様の態度は想像以上に冷たく、なかなか結果には結びつきませんでした。
なかには、私が小売店を辞めたと知った途端、「あなたから買うのはちょっと....。応援できないわ」と冷たい言葉を掛けられたこともあります。これが現実でした。正直言って、私はとてもショックを受けました。この人は絶対応援してくれるだろうと思っていた人に言われたのですから。
しかし、逆に、「この人は絶対応援してくれなだろう」と思っていた人が、「独立したら一生懸命頑張りなさい」と、思いのほか応援してくださったりもしました。そうした言葉に、私は感激せずにいられませんでした。「人間は本当にわからない」そのとき初めて思ったものです。
その後、二年、三年と経ち、ようやく一人二人と買っていただけるようになりました。その時の一枚のきものの重みは一生忘れることができません。「やった。やっと買ってくれた」と、涙が込み上げてくるくらいでした。
そうこうしているうちに四年ほどが過ぎ、固定のお客様も徐々に増え、ある程度の資金も貯まりました。「よし、店舗をつくろう」そして、昭和57年4月、ようやく私は念願の店舗を手に入れることができたのでした。
今はリニューアルして、ほとんど面影がありませんが、その時の店舗は、自宅兼店舗に小さなショーウィンドウが付いているくらいの簡素なもの。それでも私にとっては、本当のお城のように映って見えたものです。
忘れられない素敵なお客様
当店について語る際、忘れてはならないお客様がいらっしゃいます。その方は、私が独立したときから、その方がお亡くなりになるときまで、ずっと応援してくださったお客様です。それは、お買い上げもそうであり、精神面でもそうでした。
そのお客様との出会いは、やはり小売店での修行時代に遡るのですが、独立に際し挨拶に行ったときに「頑張んなさいよ」と方を叩いてくれたのがきっかけでした。それ以来、その方とは馬が合うというか何というか、それはもう、たくさんのきものを買っていただきました。最後の方はタンスに入りきらないくらいだったと思います。
精神面でも、この店舗の土地を買うときに「頑張りなさい。今買わないと買えないわよ」とアドバイスいただき、人生の大きな決断をしたことがあります。
「買っちゃえば何とかなるから」これもその方の言葉です。今思えば「私がいるから大丈夫。安心して買いなさい」と暗に言ってくださったのではないでしょうか。それくらい本当に良くしてくださったのです。
当店の着物は、私自身が京都の問屋に足を運び、一軒一軒回って「これだ」と納得したものを仕入れています。これは、少しでも素敵な着物をより安くお客様に提供したいと思ってのことです。きっと、そうした私の頑張りをそのお客様は認めてくださっていたのでしょう。だからこそ、当店を親身になって助けてくださったに違いありません。
地域密着型ゆえの様々な悩み...
私は地元の方が気軽に立ち寄れるような、地域に密着したお店づくりを心がけてきました。しかし、地域に密着しているがゆえの、人間関係の難しさを、日々、感じています。
当店にいらっしゃるお客様のほとんどは、地元の農家や自営業を営まれている方たちです。ここは、昔ながらの小さな街。噂話がすぐに飛び交います。つまり、同じ地域の住人の方同士でも、合う方、合わない方というのがいらっしゃるのです。
そうしたお客様のなかに、「○○さんが三京さんを使っているなら、私は別の着物屋さんにするわ」と当店の着物の良し悪しではなく、人の好き嫌いで来店を拒否される方がいらっしゃいます。
また、私はこの土地に昔からいる者ではありません。遠い山形から来たヨソ者です。すると、「ヨソから来たやつが、商売なんかして生意気だ」などと言ったことをおっしゃる方も、中にはいらっしゃるのです。
大きな百貨店であれば、このような悩みはないのでしょうが、小さな街で、それも地域密着型となると、こうした悩みは避けられないようです。
とは言っても、この街に住み始めてから約20年。慣れない土地ではありましたが、私なりの努力を一生懸命してきました。今でも認めてくださらないお客様もいらっしゃいます。
着物の良し悪し以外のことで来店していただけないのは、とても悲しいことです。しかし、それはそれで仕方がないことだと思います。当店のことをいいと言ってくださるお客様に対して、一生懸命応対していけば、認めていただける時が必ず来ると信じているからです。
先日、「結婚式で周りのみんなにとても素敵な着物ね、って誉められたの」と嬉しそうに報告してくださるお客様がいらっしゃいました。
私は、豪華な洋装より日本文化の和装のほうが何倍も素敵だと思っています。なぜなら、着物に勝る衣服はないと思っているからです。しかし、着物を着る文化は年々衰退しています。着物に携わる者として、本当に残念で仕方がありません。
ですから、当店では少しでも着物に触れていただこうと、落語や人力車のイベントを行っています。それも、日本文化である着物に携わった者の使命だと考えてのことです。
現在、私の息子が日本橋の呉服店に修行に行っています。その息子が戻ってきたら、親子二代で着物の素晴らしさを継承していきたい。これが私の当面の目標であり夢です。その時まで、厳しい時代ですが、何とか頑張っていきたいと思っています。
Store Journal 2004年12月号「連載マイショップ奮闘記Vol.83」に掲載
2005年05月10日
「きもの三京」店内(埼玉県戸田市)
埼玉県戸田市・上戸田商店会の呉服商
女性の美しさを引き出す「着物・和装」。
その自然な着こなしと日常生活への取り入れ方のみならず、気遣い・心配りといった和の本質を大切にする商いを地域の皆様にお届けしています。
◆所在地:埼玉県戸田市上戸田3丁目25-16(地図はこちら)
◆電 話:048−441−0530
女性の美しさを引き出す「着物・和装」。
その自然な着こなしと日常生活への取り入れ方のみならず、気遣い・心配りといった和の本質を大切にする商いを地域の皆様にお届けしています。
◆所在地:埼玉県戸田市上戸田3丁目25-16(地図はこちら)
◆電 話:048−441−0530
2005年05月01日
お問い合わせ
きもの三京へのお問い合わせは、
お電話 048-441-0530
FAX 048-441-0530
メール kimonosankyo@cablenet.co.jp
のいずれかでお願い致します。
なお、メールの場合は、お名前とご連絡先電話番号もお教えください。
お電話 048-441-0530
FAX 048-441-0530
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